政治家

橋本聖子の経歴や学歴をまとめ!元スポーツ選手って本当なの?

 

第4次安倍再改造内閣が発足されて、初入閣が最多の13人で話題になりました。

その中で女性議員の一人橋本聖子さんが五輪相兼女性活躍担当相に選ばれました。

今回は橋本聖子さんの経歴や学歴をまとめてみました。

元スポーツ選手という逸話もありましたので、早速みていきましょう。

 

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橋本聖子の経歴や学歴

橋本聖子の経歴


名前:橋本聖子

生年月日:1964年10月5日生

出身地:北海道

既婚者/一般男性(警察官)

橋本聖子さんは、東京オリンピックが開催された1964年生まれで、聖火にちなんで「聖子」と名付けられたそうです。

この名前の由来は、のちに「五輪の申し子」と呼ばれるきっかけになりました。

学歴

橋本聖子さんは、どんな学歴を持っているのでしょうか?

橋本聖子さんは、駒澤大学附属苫小牧高等学校に進学しました。

高校卒業後は大学へは進学せずスポーツの道を進み続けました。

 

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元スポーツ選手って本当?

実は橋本聖子さんは、スポーツ選手としても実績を持つ人です。

現役時代

橋本聖子さんは、父親の方針で3歳からスケートを始めました。

小学3年生のときに腎臓病にかかりましたが、全日本スプリント・全日本選手権で優勝経験を持っています。

以降、10年間に渡って全日本選手権を制覇しています。

高校1年生のときには、ジュニア選手権の日本代表に選ばれる超スポーツマン。

全日本選手権で4種目完全制覇を達成していますが、原因不明の呼吸器系の病気にかかり生死をさまようなど体が弱い一面もありました。

橋本聖子さんが20歳のころ、1984年サラエボ冬期オリンピックに出場しスピードスケート女子全種目(4種目)に出場するもメダル獲得ならず。

その4年後に出場したカルガリー冬期オリンピックではスピードスケート女子全種目(5種目)に出場し全ての項目で日本記録を更新し入賞を果たしました。

 

当時、5000mに出場した際、レース終盤に苦悶の表情を浮かべながら滑り続け、最後は完全に力尽きてしまい転倒してのゴールをしました。この出来事に非常には自家しくてスケート人生で一番悔いが残るレースだったと語っていました。

 

1988年ソウル夏季オリンピックに出場した際は、自転車選手として出場しました。

 

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日本人で史上初、冬と夏両方のオリンピックに出場しました。

 

オリンピックのあとの世界オールラウンドスピードスケート選手権大会で日本人初の総合銀メダルを獲得しました。

着実に実績を収める橋本聖子さん。

1992年のアルベールビル冬季オリンピックではスピードスケートに出場し3位入賞で日本人女性として史上初の冬季オリンピックで銅メダルを獲得する快挙を達成しました。

バルセロナオリンピックでは自転車競技に出場し、リレハンメル冬季オリンピックでは日本選手団の主将と務めました。

アトランタオリンピックでは、国会議員との二足のわらじを履き出場しました。

自転車競技に出場した橋本聖子さんでしたが、結果が残せず政界とスポーツ界の両方から批判を浴びて「両方の世界を傷つけた」として現役引退を決意しました。

ただ、合計7回のオリンピック出場は、日本女子最多記録となっています。

引退後

現役引退後は、後進の指導にあたり、「セイコ・ハシモト・インターナショナル」を設立しました。

2006年には日本スケート連盟会長に就任し2009年には日本オリンピック委員会理事に就任しバンクーバー冬季五輪選手団長を務めました。

オリンピックでは選手団長として選手たちをサポートし、女性として初めて日本オリンピック委員会選手強化本部長となるなどオリンピックに尽力してきました。

政治活動

橋本聖子さんは、政治家とスポーツ選手の両立は難しいイメージですが、約1年二足のわらじで活動しました。

現役引退後は、オリンピックに関わる活動を中心に自由民主党副幹事長に就任するなど常に最先端で活躍されています。

元々スポーツ選手だったからこそ選手の立場でサポートできる立場なので、来年のオリンピックではどういった発言がでるか楽しみですね!

 

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フリーライター
maron


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