羽生結弦選手の後継者とも言われているフィギュア界のサラブレット・鍵山優馬選手。
2020年ローザンヌユースオリンピックで優勝するなど実力が開花しつつあるフィギュア選手です。
今回は、鍵山優馬選手のコーチについて調べてみました。
鍵山優馬のコーチは鍵山正和
鍵山優馬選手のコーチは、父である鍵山正和さんと振付師である佐藤操さんです。
鍵山正和さんは元フィギュア選手です。
現役時代は、1992年アルベールビルオリンピックや1994年リレハンメルオリンピックの日本代表選手です。
1991年から全日本フィギュアスケート選手権で3年連続優勝をするなど高成績を残していました。
鍵山正和さんは、「膝と足首が柔らかい選手」と評価されていました。
日本フィギュア界をけん引した人物ですが、1994年の世界選手権出場を機に23歳で現役を引退しました。
プロに転向後の1994年から2005年までアイスショーで活動しその後は、スケートセンターの専属インストラクターを務めています。
34歳までスケーターとしてアイスショーに出ていたのは、驚きですね!
鍵山優馬選手がスケートを始めたきっかけも父である正和さんの影響。
当時の様子をコーチである父・正和さんがインタビューに答えていました。
(リンクに)遊びには連れて行きましたけど、『スケートをやりたい』という意志表示は彼からです
元々トップスケーターだった正和さんは、親としても感情が入ってしまいリンク上で厳しくすることが多いようです。
家に帰宅してから「ごめんね」と鍵山優馬選手に謝っていたことを明かしていたので、親子関係も師弟関係も良好でしょう。
鍵山優馬の父・鍵山正和
- 名前:鍵山正和(かぎやままさかず)
- 生年月日:1971年4月12日生まれ
- 出身地:
鍵山優馬選手の父親を調べていると「病気だった」という情報がありました。
理由は鍵山優馬選手のキスクラで傍にいないことがあることから噂されたようです。
実際に「前回は病気で来れませんでしたが~」というアナウンスがあったので、本当に病気だったようです。
杖を持つ様子も映し出されていましたが、病気・ケガに関する報道はされていませんでした。
1年間闘病生活をしていたという噂もありましたが、真相は不明です。
※今後も調査していきます。
コーチ兼振付師の佐藤操

- 名前:佐藤操(さとうみさお)
- 生年月日:1970年10月18日生まれ
- 出身地:東京都
佐藤操さんは、日本女子の元フィギュアスケート選手です。
アイスダンスで活躍しパートナーは酒井剛さんでした。
現役時代は、1992年と1993年の全日本フィギュアスケート選手権で2年連続表彰台入りを果たしています。
現在は、横井ゆは菜選手や田中刑事選手・佐藤駿選手の振り付けを担当しています。
鍵山優馬のプロフィール

- 名前:鍵山優馬(かぎやまゆうま)
- 生年月日:2003年5月5日生まれ
- 出身地:神奈川県横浜市
- 身長:158㎝
- 血液型:O型
鍵山優馬選手は長野県生まれの横浜育ちです。
軽井沢中部小学校を経て横浜市立六角橋中学校を卒業しています。
高校はスケートの妨げにならないように通信制の星槎国際高等学校横浜に在学しています。
憧れの選手を平昌オリンピックで銀メダル宇野昌磨選手をあげており、完璧すぎる選手と語っていました。
同学年の佐藤駿選手に関しては、「氷上だと良いライバルだと思っていて、陸上では良き友人。とてもいい関係」と明かしています。
好きなキャラクターはスヌーピーで、今後活躍をするにつれてプーさんシャワーならぬスヌーピーシャワーが見れるかもしれませんね!
鍵山優馬の経歴
鍵山優馬さんは、コーチである父・正和さんの影響で5歳からスケートをはじめました。
2014-2015年シーズンでは、関東選手権ノービスAクラスで優勝しています。
2016年からのジュニア時代には、3回転-3回転のコンビネーションジャンプを成功させたり完璧な演技を披露し、出場する大会では着実に順位をあげてきました。
2018-2019年シーズンで初めて国際大会(アジアフィギュア杯)に出場し、初優勝しています。
アルメニアン杯では高得点をたたき出し国際スケート連盟主催の大会で初の表彰台入りを果たしています。
2019-2020年シーズンでは、ジュニアグランプリシリーズクールシュヴェルに出場し国際スケート連盟主催の国際大会で初優勝とジュニアグランプリファイナルに進出しました。
全日本ジュニア選手権では、ミスがあったもののジュニア最高得点を大きく上回る得点で初優勝。
ユースオリンピックのローザンヌユースオリンピックでは着実に点数を稼いで自己ベストを更新し金メダルを獲得しました。
今一番勢いのあるフィギュア選手の鍵山優馬選手。
今後の活躍にも注目です。