お笑い

浅草キッドをカバーした歌手は誰?モデルになった店はどこ?

令和最初の紅白歌合戦ということで、出演歌手に注目が集まっています。

2020年12月末を持って活動休止が決まっている嵐を始め、追加ゲストが次々発表される中、ビートたけしさんが歌手として初出場することが決まりました。

そんなビートたけしさんは「浅草キッド」を歌うということですが、どんな曲なのでしょうか?

今回はビートたけしさんの浅草キッドについて調査しました。

意外な歌手がカバーしていたので、早速見てみましょう。

ビートたけしの浅草キッドとは?

浅草キッドは、1986年8月に発売したアルバム「浅草キッド」に収録された楽曲です。

ビートたけしさんが作詞・作曲を務めており、下積み時代の思い出ソング。

浅草キッドは、今なお昭和の名曲として歌われています。

浅草キッドの歌詞を見てみましょう。

「浅草キッド」の歌詞

お前と会った 仲見世の
煮込みしかない くじら屋で
夢を語ったチューハイの
泡にはじけた 約束は
灯の消えた 浅草の
コタツ1つのアパートで
同じ背広を 初めて買って
同じ形の ちょうたい作り
同じ靴まで 買う金は無く
いつも 笑いのネタにした
いつか売れると 信じてた

客が2人の 演芸場で
夢をたくした100円を
投げて真面目に 拝んでる
顔にうかんだ あさなごの
むくな心に またほれて

1人たずねた アパートで
グラスかたむけ なつかしむ
そんな時代も あったねと
笑う背中が ゆれている
夢は捨てたと 言わないで
他にあてなき 2人なのに

夢は捨てたと 言わないで
他に道なき 2人なのに

「煮込み」とは、ビートたけしさんが貧しかった頃に好んで食べていたという「牛もつ煮込み」で、浅草キッドはビートたけしさんの思い出が詰まった楽曲です。

浅草キッドのモデルになった場所は?

「仲見世の煮込みしかないくじら屋」のモデルとなった店は、浅草2丁目北側にあった鯨料理がメインの居酒屋「捕鯨舩」だと言われています。


住所
東京都台東区浅草2-4-3 浅草六区通り

アクセス
浅草駅より徒歩3分

浅草キッドをカバーしてる歌手

およそ30年以上経っている浅草キッドですが、多くのアーティストがカバーしていることが分かりました。

菅田将暉&桐谷健太

2017年に公開した映画「火花」の主題歌としてカバーしたのは、菅田将暉さんと桐谷健太さん。

歌唱力の高い二人だからこそ世界観が表れていますね!

桐谷健太さんの歌声が、浅草キッドの切なさが今の時代に合っています。

福山雅治

2002年に発売したアルバム「The Golden Oldies」に収録された浅草キッド。

福山雅治さんのハスキーボイスとアレンジでカバー曲という感じがしませんね!

青山テルマ&奥田弦

2013年にビートたけしさん監修のオムニバスアルバム「たけしとブルーノート」に英語バージョンが収録されています。

奥田弦さんというピアニストと青山テルマさんのコラボ曲でジャズのような大人な曲にアレンジされています。

普段はポップで明るい曲が多い青山テルマさんですが、バラードでしっとり歌うのも素敵ですね。

青山テルマさんの切ない歌声にも注目です。

ビートたけしは歌手だったの?

ビートたけしさんは映画監督や俳優・司会者などマルチに活躍していますが、元々は1980年代に起こった漫才ブームで人気を獲得したお笑い芸人です。

ビートたけしさんの発言や行動は膨大な影響力を持っています。

そんなビートたけしさんは、1980年代から90年代まで20枚以上のシングル曲を歌い上げてきました。

  • 1981年「俺は絶対テクニシャン」(デビュー曲)
  • 1984年「抱いた腰がチャッチャッチャ」
  • 1985年「哀しい気分でジョーク」など

ビートたけしさんのハスキーボイスは、たけし世代からすると涙が出るほど感動してしまうようです。

そして今回、令和初の紅白歌合戦でビートたけしさんが浅草キッドを披露することになりました。

歌声を披露することがないビートたけしさんですが、なぜ出場することになったのでしょうか?

ビートたけしさんは大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~」に古今亭志ん生役でレギュラー出演していました。

視聴率こそ苦戦したものの、いだてんには欠かせない役どころでドラマを支えました。

また2019年4月に「オフィス北野」から独立し、新事務所「T.Nゴン」を設立したのと、39年間連れ添った妻・幹子さん(68)と協議離婚など公私ともに激動の一年でした。

もう一つの理由は、今年デビュー20周年の節目の年に氷川きよしさんが紅白歌合戦に出場します。

ビートたけしさんは、2000年と2001年に紅白歌合戦に出演していますが、いずれも氷川きよしさんの応援という形で出演していました。

今回も氷川きよしさんの節目の年という後押しもあって、歌手として出演するきっかけになったかもしれませんね。